スパイスと世界の種

書く事で人生が変わる。自分の経験や仕事の話

国際協力の世界で働きたい君へ(私の就活時代②)

今回は以前書いた私の就活、学生時代の話の続きである。

 

asy0ulike.hatenablog.com

 

もう15年近く前の自分の就活の頃とは、随分時代が違う。

当時のアメリカの大統領はブッシュ氏だったが、今はオバマ氏の8年を通過してトランプ氏になった。

私が海外に関心を持って学んでいた頃には9・11が起きたし、そのあとアフガン戦争が起きた。

途上国へのスタディーツアーはキャンセルになったので、いろいろあって韓国に留学したのもそのころだ。

就職活動は帰国後、3年生の3月ごろから始めたのであまりよくわかっていなかったのも事実である。

就活は学校の試験とは違った。

 

就職活動の事がよく分かっていなかった私は完全に乗り遅れた。

私は、複数の企業に落ちた。

途上国や海外と関わりになれる国際運輸の業界に興味を持ったが縁はなかった。

 

なぜ、運輸だったのかと言えば、乗り物が好きだったし、モノが動く事に興味があったからだ。

後から知ったが、運輸は国際協力の分野でとても大切な仕事の一つである。

 

途上国は道が悪かったり、事故等が多かったりして予定の日に荷物が届かない事がざらだ。

例えば予防接種のワクチンが期日通りに来なければ赤ちゃんに必要な予防接種はできない。

食糧配給であればもっと深刻な問題になる。

だからこそ、きちんとした輸送を確保したり計画を立てる事が必要で、そういうプロフェッショナルも国際協力の世界では重要な人材である。

残念ながら縁の下の力持ちで、あまり表に出てこないが。

 

複数の企業からお祈り通知をもらった後、自分が改めて何をしたいのか考えた。

そして、やはり国際協力の世界で働きたいと考えた。

 

もう新卒で働けそうな場所はない。

であれば、社会人経験を積んでから再チャレンジしよう。

 

当時、

「途中でキャリアを変えるなんてことは考えないほうがいい。終身雇用が普通だよ」

というアドバイスをもらったが、ひとまずそのアドバイスは無視した。

 

個人的には今もこのアドバイスは無視していいと思っている。

特に売り手市場の今、入った会社が自分に合わないと思えば定年退職まで働き続ける必要はない。

そもそも学校の数より企業の数が多いのはそれだけ多様性がある証拠だ。

自分に合わない人たちと一日中一緒にいるというのはお互いストレスがたまる事だろう。

また、キャリアは2つでも3つでもあっていいと思う。

今定年を迎えている人たちが若いころは携帯なんてなかったし、パソコンのタイピングをする必要がある人はほとんどいなかった。

彼らは電卓が得意だったかもしれないし、手書きで図面を描くのが得意だったかもしれない。

しかし今はそれでは仕事にならないのでパソコンでタイピングしたりCADの技術を習得している。

そして会社の社長さんが学校の校長になるなんてこともあったりするし、地方議員であれば仕事しながら就いてる人も少なくない。

複数の技能や仕事を持つことで、今までなかった視点に気が付く事ができる。

これは仮に国際協力の仕事につかなくてもいい経験になる。

だからこそ、途中でキャリアを変えることはあっていいと考えている。

 

話がそれた。

実績を積むための仕事として何の仕事がいいか調べた時に、たまたま銀行員から国際協力の世界に行った人の記事を3つ見つけた。

 

みな、銀行員からスタートし、大学院などを経て国際協力の世界で活躍していた。

 

確かにお金は何につけ必要なものである。

学生時代、某国際機関の日本支部でボランティアをしていたが、運営には組織の運営費が必要な事、活動費も自分たちで賄わなければならない事などを聞いて、莫大なお金はどこからやってくるのだろう。どう経営しているのだろう。と、お金の流れに興味があった。

 

たまたま地域の銀行で新入社員を再募集していたので受けてみたところ合格した。

他の企業も内定をもらったが、将来の事を考えると、自分にとって銀行で働くのが将来国際協力の世界で役に立つと考え銀行員になることにした。

 

 

銀行員はどう生きるか (講談社現代新書)

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